西近江路サイクリング その2(苗鹿ー浜大津) 2023.3.7 晴れ ひとり
今回は「その1」の続きゆえ、西近江路は四谷と浜大津の間、廃線道も浜大津と唐崎の間、それらの間のみ幾分コメントを。
浜大津近辺の西近江路や廃線道は従来全く気にしていなかったので、「へーこんなところか」と感心しながら通過した。特に廃線道の「大津絵の道」は公園のようにして残っている。
西近江路については教育委員会の資料(中近世古道調査報告8 「西近江路」)でルートははっきりしているが、廃線道は手持ち資料だけでは無理があった。国土地理院の昭和40年頃の地図さえ入手できればわかると思うが、入手したとしても、恐らく廃線道自体が変わっているので通過もできないだろうと予想した。
以上の経緯から、廃線道はJR大津京からJR比叡山坂本までは湖西線沿いを進んだ。
今後の見込みに触れると、どうもサイクリングになりそうだということと、江若鉄道については古地図をトライしないと跡を辿れない(これでは面白みがない)ように思う。ちと、国土地理院のネットの見方も勉強しないといけない。京阪のネットも調べてみよう。
630: その後、ネット検索や国土地理院で調べた結果、廃線跡ついに素晴らしい記事を見つけた。これの検討結果は後日改めて報告予定。 その後、とんでもない資料を見つけた。ズバリこれ。このホームは「琵琶湖歴史研究会 資料アーカイブス」だ。この中の「会員提供資料」の中に入っている。
どこぞの大学の研究室と思えるくらいにレベルが高い。そして、とんでもない資料の中身は、国土地理院の新旧マップの重ね合わせで示している。これはズバリ求めていた資料だ。どこが江若鉄道とかの説明がないので、これからチェックする必要があるが、間違いなく役にたつ。
ホームでチェックする限り江若鉄道以外も「学習会資料」として検討されている。但し、去年の6月でこのグループは活動を停止し、貴重な資料のみを公開前提で残されたようだ。
最近、レベルの高いホームページ(街道歩き16年の方とか、今回の琵琶湖歴史研究会)を閲覧させてもらったせいか、自分のホームページやブログに対し、反省はしているが、改善は無理。今の時間しか割けない。
今回レベルの高いホームページを見せてもらって感ずるのは、検索に引っかかりにくかったことからして、あまり閲覧されていないかもしれない。逆に言えば、相当下位のレベルまでチェックをかければ出てくるはずということ。
とともに、同じことを考える仲間がいることを痛感する。やりたいことがすでに実施されている。作りたいホームページがすでに作られているなどなど。
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