五箇荘めぐり               2024.5.29 晴れ  OBW担当

  近江中山道の下見をひとりで実施していた。そして五箇荘に立ち寄ったとき、街並みをみてこれはじっくり見て回るべきと判断した。その具体化が今回の「五箇荘めぐり」の企画となった。

ウォーク仲間であり地元のMさんにガイドをお願いした。

残念ながらカメラ忘れでの出発ゆえ、行程の記録はない。代わりにGPSの軌跡、近江商人博物館のパンフ、外村繁邸のパンフを記載した。なお、昼食は雨も考慮し、博物館の4階の座敷でとった。

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5/31 写真を撮りに五箇荘に行く。ついでに東近江市の石塔寺に行く。

先日はカメラを忘れて五個荘に行ってしまった。記録がないゆえに旅日記としても成り立たない。この事情から昨日は写真を撮るために五個荘に訪れた。

 

車を「ぷらざ三方よし」に駐車し、先日と同じルートを廻った。残念ながら「外村繁邸」は時間が早すぎて閉館であった。したがって、花筏(はないかだ)の写真はなし。

 

今回で3回目(中山道歩きで五個荘をうろうろ、先日の会社OBのガイド付きウォーク)ゆえ、土地勘も適当にある。通常の五個荘歩きには組み込まれない「龍田神社」(先日はガイドの案内で訪問)は皇室の方と縁があるようで、36歌仙の色紙とか建物の作りにも工夫されている(重要文化財)ようです。素人目にも拝殿は立派に見える。

 

2Hrほどで撮影も終わり、久しぶりの東近江市ゆえ寄り道しようと思いつく。東近江市に低山が多く、山には結構お世話になっている。その山の帰りに立ち寄る場所があり、太郎坊宮(長い階段)、百済寺(紅葉)、瓦屋禅寺(紅葉)など。さらに、コロナの時期、石馬寺(いしば 山の麓の階段のある寺)、石塔寺(いしとう コロナで閉門)を訪問。

 

石塔寺は閉門ゆえ、庭にも入れなかったお寺だ。ここを立ち寄り先に選ぶ。予想通り立派なお寺であり、塚から掘り出したという阿育王塔(国重要文化財)や多くの石塔・石仏がある。

 

五個荘の撮影&石塔寺の石塔・石仏鑑賞を終え帰宅する。

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コースタイム    左から右上まで  赤線が軌跡    青線は中山道歩きの時の五箇荘立ち寄りの軌跡

1020ぷらざ三方よし  1030弘誓寺(ぐぜいじ)  1036-1108外村繁邸  1115-1121大城神社  1127-1312博物館・昼食  
1316-1322龍田神社  1330中山道案内板  1341新堂常夜灯   1403五箇荘駅
 

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第290号)

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中山道立ち寄りの青軌跡と今回の五箇荘めぐりの赤軌跡の差は後者ではぷらざ三方よしと龍田神社と外村繁邸
を訪問した点。
ぷらざ三方よし; JR能登川発のバスの停車駅
龍田神社; 五箇荘めぐりのコースには通常はいっていないが、ガイドのMさんの判断で立ち寄る。皇室も関係ある、かつ、造りもりっぱな由緒ある神社
外村繁邸; 近江商人屋敷でMさんが推奨した屋敷。繁さんは作家、父さんが近江商人。

  カシミール記録


距離  4Km弱
時間  4Hr弱 
 
     
 ぷらざ三方よし   弘誓寺(ぐぜいじ) 
     
大きな本堂でした  本堂は重文  外村繁邸
近江商人屋敷は一見の価値ありと思う 
     
  大城神社
大きな鳥居と周辺の石垣はりっぱ 
 
     
景清道案内   金堂集落と竜田集落の村境 近江商人博物館
有料ですが、近江商人を知るにはいい 
     
  龍田神社   
     
 拝殿はりっぱで市指定の
有形文化財
  拝殿の天井側面 
     
  塚田さと創設の書道専門学校   
     
ただし、これがなにかは不明  中山道案内板  大正の郵便局 
     
新堂・常夜灯  右・京へ 左・伊勢へ
御代参街道(伊勢へのメインストリート)と
合流するのだろう 
 
     
石塔寺(いしどうじ)  左手に受付があり  まっすぐいけば
阿育王塔と多くの石仏・石塔 
     
     
     
 阿育王塔
日本には2基しかなく、かつ、これは土に
埋まっていたようだ(平安時代)
   
     
 受付に戻って右へ行けば本堂   ご本尊は秘仏・聖観音であり、
お前立 は十一面観音
   本堂から山門方向